稼げりゃニートでも良いんじゃないの?

自由という概念は社会生活を送る上では存在しないものである

      2017/08/06

学生ならば、学校へ行かずに自由に毎日ゲームや漫画を読んで過ごしたいという自由願望。会社員であれば毎日が鬱で仕方がない日常を投げ捨てて自分の知らない土地で何にも束縛されずに自由に生活がしたいという自由を追い求める人はかなり多いと思うのだが、残念ながら生きている以上は自由という概念は存在しない。

会社などの組織に属している会社員は、本当に自由というものがなく毎日の多くの時間を会社に投資して生活をして、そこで稼いだお金で生活を送らなければならない。例え大型連休があったとしてもそれは制限時間がある自由であり、本当の自由を会社員をしながら感じるということはできないものだ。

そこで何にも縛られることがないニートという存在が出てくるのだが、ニートというのは確かに何も束縛がされない自由な生活をしていると思われがちであるのだが、ニートは自由を感じる余裕などなく、将来に対しての不安感で会社員より精神的な自由は得ることができないのである。

では自由な生活という概念に触れてみると、何にも束縛されずに一般的な社会生活の概念を持たないということになるのだが、人として生活していくためには社会のルールに従って生活する必要性がある。そうでなければ無人島で自給自足をして生活する位の覚悟が必要であり、それは現実的ではない。

労働をして賃金を得て生活をするというサイクルを繰り返さなければ生きていけない世の中では、自由という概念は存在しないものであり、自由になりたいと思うこと自体が無駄な願望という訳だ。そのため社畜で多忙な日々を送って自由願望があっても自由は存在しないと自己暗示をかければ少しは楽になるのではないだろうか。

「自由になりたくないかい?」は通用しないんじゃないの?

 - オピニオン