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友人という薄っぺらい交流関係はクソみたいなものである

人というのは幼少期から友人関係という交流が生まれて、小中高と年齢を重ねるごとに友人関係というものが次第に構築されていく訳であるのだが、中には友人という存在がおらずに周りから「いつも一人でいるぼっち」という蔑んだ目線で見られる友人がいない人というのも多いことだと思う。

一般的な常識という面で語ると友人がいない人は性格的に偏屈な人格の持ち主という偏見で見られてしまい、自身は友人というものに対して必要性を感じていないにも関わらずに周りの目線を気にして嫌でも薄っぺらい交流関係を構築している努力をしている人もいるのだが、そもそも友人は努力して作るものではない。

友人とは日常生活を送る中で信頼関係を構築し、気が付いたら自然と友人関係と呼べる関係性となっていたというのが自然体であり、友人がいないから努力をして友人を作るというのが論点がずれているものであり、他人から好かれたいという八方美人な意識で行動すれば本当の自分を見失うことにも繋がる。

友人がいない人は友人を作るということにやけに拘る傾向にあるのだが、友人という薄っぺらい関係性は自分のとって何の利益になるのか?ということを考えてみて欲しい。きっと友人を得たとしても一時的な娯楽を共有して楽しむための関係性でしかなく、友人という存在に拘る必要性は別にないのである。

日本人は群れて集団で落ち着く国民性

日本人という国民の性格は、個々の個性を重視するのではなく協調性を重視する文化があるために、自分は他人と異なる意見を持っていたとしても大多数の意見に賛同してしまうという特徴がある。これは友人という存在でも同じであり、友人がいないと周りから孤立して不安を感じてしまうのだ。

そのために、単純な焼肉へ一人で行くという何の問題がない行動に対して周りの目線を気にしてしまい一人では何もできないヘタレの若者が非常に多い訳であり、重要なのは他人を尊重するという協調性ではなく、自己確立をしっかりと行って周りの意見に流されないということが大切なのである。

これを踏まえて何故「友人という存在が欲しいのか?」ということを考えてみて欲しいのだが、きっと友人を欲している理由としては上記で解説した通り、他人の目線を気にして群がることで安心感を覚えたいという願望であると思う。しかしそんな薄っぺらい関係性は何の利益になるのだろうか。

このような周りの意見を尊重して、自分の思考を不特定多数の意見に流されてしまうということはダサいの一言であり、もっと日本人は周りの意見に流されずに少しは自己中心的な思考を持っても良いし、周りの意見に同調するというのは美徳ではないということを理解しておこう。

友人関係なんて不必要なんじゃないの?

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