稼げりゃニートでも良いんじゃないの?

普通という固定観念に縛られている人々へ贈る1176文字

      2015/07/29

社畜

最近、人間らしい生き方とは一体何なのか考える機会があった。そこで道に迷っている学生や社会人に対して、固定観念をぶっ壊す考えを紹介したいと思う。

まず、一般的な人間らしい生き方とは「道を踏み外すことなく人と同じ事を永遠と繰り返し、子供にお金を投資し死んでいく」というのが世間が好む一般的な模範となる生き方だ。

しかし、残念ながらこのような人生を歩める人というのはあなたが思っているより遥かに少ない。大多数の人間は人生で転んでしまったら、この固定観念に縛られた考えの中で2つの選択を選ぶ。

それは図太く生きるか?潔く死ぬか?という選択である。残念ながら世間は道に外れてしまった者は、世間の笑いものとして噂の餌とする。

これに耐えられない奴が「潔く死を選ぶ」傾向にある。これはとても残念だ。他人の事ばかりを気にしてしまい自分を犠牲にしてしまったのだから。

一方、図太く生きる事を選んだ奴は、世間という固定観念の外れた考えの中で生活しようとする。これが人生を楽しくする楽園の一歩なのかもしれない。

人生は社会という固定観念に縛られるものではない

ノマド

私はこの社会の固定観念が大嫌いであり、クソだと思っている。このような奴の事を世間は「社会不適合者」という。一般的な考えではこの社会不適合者はクソというレッテルを張られるが、むしろ私は天才集団だと思う。

人生で何が一番重要なことは「好きなように生きる事である」これを犠牲にして身を粉にして働きましょう!とかいう日本の根強い風潮があるから自殺者は減らないのだ。

確かに、家庭を持っている人は責任があり、放棄する事は許されない。家族のために身を粉にして働く姿はかっこいい。しかしそれが一番幸せな形なのかと言われると私は疑問に感じる。

だから私は、将来的にIT関連「アフィリエイト」や「ブログ」などを駆使して、畑でも耕しながら山奥で自給自足で生活するのか夢である。

これ以上かっこよい生活は無いだろう「山奥に住んでいますけどITを駆使して稼いで食べ物は自給自足で賄っています」ってね。現代に生まれてよかった。これが江戸時代だと打ち首かもしれないからね。

普通が正しい…それって本当に?

レール

最近は就職が出来なくて自殺をしてしまう就活生がいると聞いた。それは今まで社会のレールに依存していたからだろう。一度社会のレールを外れれば批判の的となるが、これからの人生を考える機会にもなる。

国が用意した社会というシステムが全て正しいと思い込むことは、結局は自分の首を絞めてしまうのだ。社会に依存せず楽しく生きる事ができたのならそれは最高の人生だ。

大学生になっても将来やりたいことが見つからない奴は今一度、考えてみるべきではないだろうか。人からどのように見られようが稼ぐ手段を見つけて遊びながら楽しく生きれば良いのだ。悩んでも普通という固定観念に殺されるんじゃないよ。

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