稼げりゃニートでも良いんじゃないの?

友人がいないからこそ自分の貴重な時間を尊重できる

      2016/03/19

複雑な心境

小学校や中学校、そして高校、そして大学、そして社会人と階段を上っていく段階で友人の一人や二人は必ずと言っても良いほどできるものであり、友人がいない人は人格に問題があるという目で見られる。

しかし、私は小学校、中学校、そして高校まで友人と呼べる人は一人もいない。現在は社会人となったのだが当然友人と呼べる人は皆無である。そう、携帯電話にも親族のアドレスしか入っていない典型的なボッチなのだ。

このようなボッチは一般的に根暗と呼ばれ、誰の輪にも入れない存在感の薄い人物というイメージがあるかもしれないが、好きで友人の居ない環境を求める人も中にはいることを忘れてはいけない。

友人がいないということは自分の貴重な時間を一番尊重したい人にとっては打ってつけの環境なのだ。私も友人という存在の鬱陶しさに疲れて友人という存在を捨てたのだがこれがとても快適なのだ。

友人という存在は鬱陶しい

友人という存在は私にとってはとても鬱陶しい存在である。まず友人がいると自分の貴重な時間が奪われることになる。友人という存在を求めていない私と同じ心境の人は共感してくれると思うが、友人という存在がいると鬱陶しい気分になるのだ。それでは友人がいることで鬱陶しいことを挙げていこうと思う。

自分の貴重な時間が奪われる

私のような友人という存在を求めていない人は基本的に一人の時間を大切にしている。友人がいるということは自分の時間を犠牲にしなければいけないためせっかくの休日が無駄な労力に変わってしまう。

友人という存在がいなければ自分の休日は基本的に一人で過ごすことができるため、自分の貴重な一人という時間を尊重したい人にとっては友人は時間泥棒に他ならない。

無駄な金銭をつかってしまう

友人がいると何処かに遊びに出かけたりして交流関係の出費というのがかなり大きなものになってしまう。一時の娯楽に無駄なお金を投資するのは無意味なものなのだ。

友人という交流関係が無くなれば、交流関係に使うお金というのが全く無いため自分が本当に心の底から楽しめる娯楽にお金を使うことができるのだ。

無駄なトラブルに巻き込まれる

友人という存在がいると無駄なトラブルに巻き込まれる可能性が大きい。例えば友人が借金をしたりしてお金を貸したりするとこちらの身にも無駄なトラブルが降りかかることがある。

友人関係というのは無駄なトラブルの根源となるものであり、自分の貴重な時間とシンプルな生活を尊重したい人にとっては何度も言うが鬱陶しい存在なのである。

友人がいないことで悩む必要なんて一切ない

今の社会では友人がいない人のことを見下し、問答無用で根暗な存在として扱われる風潮があるため、友人を自ら欲していない人は「嫌でも友人を作らなければ」という心理に押しつぶされる。

しかし、本当に友人という存在が自分にとって不要な存在ならば、無理に友人というものは作らないほうが良いのだ。他人からの目線を気にして無理に他人と行動すると自分の個性が消されてしまう。

そのため友人が本当に必要ないと感じている私と同じような心境の人は無理に友人という存在は作らない方が賢明だ。他人と群れるより自分の個性を尊重して一人で行動している人のほうがよっぽどカッコいい。

無理に友人なんて作らなくて良いんじゃないの?

 - オピニオン