稼げりゃニートでも良いんじゃないの?

思い出として記念写真を撮影するとかバカなんじゃないの?

      2016/05/01

カメラを持つ女性

日本人というのは何かのイベントがあると、必ずと言って良いほどその光景を記念写真として撮りたがる習性があるが、このような記念写真を撮って一体なんのメリットがあるというのだろうか。

私は人物を写した記念写真というものが大嫌いであり、15歳の中学の卒業写真以来、一切私の写真というのは存在しない。その理由は至って簡単であり、写真は思い出を残す一方で悪い思い出も残してしまうからだ。

例えば、自分の若かった頃の写真を見ると、今の自分が老けているという失望感に悩まされたり、自分の恥ずかしい瞬間を写真に写されてしまったり、人物を写す写真には必ず悪い思い出も必ず付随してくるのだ。

冒頭でも書いたとおり、日本人というのは旅行に行ったとしてもその場の瞬間を楽しむのではなく、写真を撮るということが目的となり、挙句の果てにはSNSで自慢げに「○○に行きました」なんて書き込みをするのだ。

体験は写真ではなく思い出として残す事が重要

人は珍しいものを見たり、思い出に残るイベントなどがあると、すぐにカメラを取り出して写真を撮影する癖があるが、思い出を写真として残してしまうと、結果的に自分の記憶に残らない思い出となる。

先日、私はSEKAI NO OWARIのライブへ出向いたのだが、その観客というのはライブの演出を楽しむというより、有名人を写真に納めるということが目的となっている人が多く見受けられた。

私はブログにアップするために、写真を撮影していたのだが、情報発信をしない奴がデーターフォルダの中に有名人の写真を入れて何のメリットがあるのだろうか。それはきっと自慢するためだろう。

ライブという音楽を聴くイベントで有名人を撮影するということがメインとなり、重要な音楽は二の次では何のためにライブへ行っているのか分からないではないか。

逆に写真などを一切撮影せずに、ライブという時に夢中になっている人はずっと忘れない思い出となっていることだろう。このように写真というのは思い出を邪魔するツールでしかないのだ。

子供の成長記録として写真を撮る奴はバカなんじゃないの?

結婚して、子供を授かったら、子供の成長記録として子供の写真を撮り溜める親が多いと思うが、私から言わせれば子供の成長記録として写真を撮る奴はバカなんじゃないの?と言いたいところだ。

子供が大きくなって、反抗期に入って押入れに入れてあってアルバムを見て「この時は可愛かった」なんて感情を持たせてしまうのが写真というものなのだ。

本当に思い出に残したいのなら、写真という描写に頼らずに自分の頭の中に思い出を詰め込む努力をするべきなのである。何度も言ってやろう。写真を撮る奴は総じてバカが多いということを。

思い出を写真に頼らなくても良いんじゃないの?

 - オピニオン