稼げりゃニートでも良いんじゃないの?

60歳以上で無職という呼び名は如何なものなのだろうか?

      2016/06/03

田舎の田畑

60歳を過ぎて定年を迎えて第二の人生を歩んでいる人というのは基本的にニートと変わらない生活スタイルであるが、定年までしっかりと働いてきた人を無職という呼び名で一括りをするのは如何なものだろうか?私がこのような60歳で無職という呼び名は考え物という考えに至った経緯を簡潔に話そう。

私は祖母に「いいよなぁ~婆ちゃんはニートで」と話した時だ。その時に祖母は目の色を変えて「私はニートではない!!」と豪語したのである。逆に私はその時にプロニートとして生活をしていたため、逆に祖母に「てめぇもニートだろうが」と言い返されたのである。

私はプロニートとして生活をしているという事に誇りを持っていたため、ただのニート扱いをされるという事がとても気に食わず「俺はプロニートなんだ、そこらのニートとは一味も二味も違う」と言い返してやったのである。その結果「アホかてめぇは」という殺し文句で話し合いは終了した。

この一連の会話を読み解くと、定年を過ぎた第二の人生を歩んでいる人というのは自分が無職という肩書に若干の劣等感を持っているということである。ここで私は考えた。60歳以上で無職という肩書は払拭してあげないと残りの余生を満喫できず、天国に行けまいと。そのため私は定年を迎えて職についていないお年寄りに良いキャッチフレーズを付けてやろうと思う。

60歳で無職という肩書に代わる名前を考案してみる

元帥

60歳を過ぎれば、人生のあらゆる事を知っている人生の先輩として無職ではなく元帥と呼ぶということが定年を過ぎたお年寄りには一番うれしい呼び名かもしれない。しかし、本当の元帥の領域に達している定年を過ぎた老人は限られているためこの呼び名はハードルが高いのがネックである。

お天道様予備軍

60歳を過ぎれは人生の半分以上は過ぎているため、お天道様になるのも時間の問題である。これは言わばお天道様予備軍であり、尊敬に値するものである。そのため定年を過ぎたお年寄りに対してはお天道様予備軍という名誉ある称号を与えても罰は当たらないだろう。

人生の旅人

定年を過ぎた人というのは基本的に家にいるということが苦痛であり、暇があれば何処に出かける傾向にある。散歩に出かけたかと思えば、近所の喫茶店で世間話をしていたり…。その行動範囲はとても幅広いものである。これはまさしく人生の旅人であろう。

仏様

定年を過ぎてしまえば、人生の全てを知り尽くしてしまっているため仏様に近い存在である。多くの人はお年寄りの人を老害だと馬鹿にする傾向にあるが、そのお年寄りが本当の仏様になった際にきっと天罰が下ること間違いなしである。そのため今のうちに仏様と呼び媚を打っておこう。

いや、もう無職でいいわ

様々な定年を過ぎた人に対する呼び名を考えてみたが、やはり定年を迎えてフリーになった人は全員無職という肩書でよろしいというのが本音である。本来、無職というのは若年者ニートを意味するものではなく、このような定年を迎えた人に対する呼び名であるのである。

本当の問題点は、若年者の無職が多くなったという面にすべて責任があるだろう。労働をするというのは最低限の生活を送る上で欠かせないことであり、国民の義務でもあるのだ。ニートと呼ばれる若者はこのような老人に「無職」という肩書を譲ってあげるべきなのだ。

全ては若年者ニートが悪いんじゃないの?

 - オピニオン